
技術情報
2025.08.08
宇宙探査において、推進システムはミッションの中心的な役割を担っています。しかしながら、わずかな汚染でも推進性能の低下や安全上の問題を引き起こす可能性があります。そのため、推進システムに関連する精密洗浄が極めて重要になります。
本稿では、宇宙機の推進システムおよびその周辺機器に対する精密洗浄の必要性、手順、規格、検査方法、直面する課題などを整理して解説します。
エンジン不具合の誘発:燃料ノズル、燃焼室、タービンなどの部品に微細な粒子や化学残渣が付着すると、推力が低下したり、不完全燃焼、最悪の場合には爆発や機能停止を引き起こすおそれがあります。
性能と効率の低下:プロペラント(推進剤)の純度がわずかに損なわれるだけでも燃焼効率が低下し、推力不足や余分な燃料消費が発生します。これは宇宙環境において深刻な問題となります。
ミッション失敗のリスク:推力が不足すれば軌道投入の失敗や姿勢制御不能といった致命的な状況に至る可能性があります。特に有人ミッションでは乗員の安全に直結する問題となります。
目に見えない脅威:汚染物は肉眼で確認できないことが多く、問題が運用中に顕在化することもあります。そのため、事前の対策が不可欠です。
精密洗浄の目的は、部品の表面や内部に存在する微細な汚染物(粒子、油膜、化学残渣、水分など)を徹底的に除去し、設計上要求される清浄度レベルを満たすことにあります。これにより、推進システムの性能と信頼性を確保することができます。
以下は、精密洗浄における代表的な手順です。
3.1 機械的洗浄
最初に、ブラシ洗浄や高圧洗浄、グリットブラストなどの方法により、部品表面に付着した大きな汚れや酸化スケールを除去します。これにより、後続の処理がより効果的になります。
3.2 脱脂
油分やグリースなどの有機汚染を除去するために、専用の洗浄剤や溶剤を使用します。適切な温度管理や濃度管理が必要であり、この工程の品質は次の処理に大きな影響を及ぼします。
3.3 パッシベーション(不動態化処理)
ステンレス鋼などの金属表面から遊離鉄や酸化成分を取り除き、金属表面を保護するための化学処理です。これにより、腐食の抑制と表面清浄度の向上が図れます。
3.4 視覚および機能的検査
目視検査:懐中電灯や内視鏡を使って、肉眼での確認を行います。
水膜試験:部品を水に浸し、引き上げた際の水膜の状態を観察します。水が均一に張られない場合、汚染が残っている可能性があります。
3.5 検証工程(バリデーション)
粒子検査:部品表面や内部から洗い出された粒子をフィルターで回収し、その粒径や数量を測定します。
非揮発性残渣(NVR)測定:化学汚染の度合いを評価するため、洗浄液を蒸発させて残る物質の質量を測定します。
3.6 乾燥・包装・保管
洗浄後の部品は完全に乾燥させたうえで、清浄な環境で包装し、異物が再付着しないように保管します。
精密洗浄には、各国の宇宙機関や国際標準化機構(ISO)によって定められた規格が適用されます。
例:KSC-C-123J、MSFC-SPEC-164、RPTSTD-8070-0001、MAP-211025、ISO 14952など。
粒子数や粒径、NVRの上限値が部品ごとに規定されており、それらを確実に満たす必要があります。
地上支援装置(GSE)にも、飛行体と同等の清浄度が求められる場合があります。
推進系統に燃料や酸化剤を供給するための地上設備も、汚染源とならないように徹底した清浄化が必要です。パイプやフィルター、バルブなどが含まれ、これらの装置の内部も高レベルで管理されます。必要に応じて、地上設備専用の洗浄工程も設計されます。
精密洗浄には多くの技術的課題が伴います。
複雑な形状の部品:小さな流路や入り組んだ構造は洗浄剤が行き届きにくく、洗い残しのリスクがあります。
材料の影響:使用される洗浄剤が金属の腐食や脆化を引き起こす場合があり、材料に応じた適切な処理選定が求められます。
安全性と環境対策:洗浄剤や溶剤は人体や環境に有害な場合もあり、適切な取り扱いや廃液処理が必要です。
検査の信頼性:測定誤差や試料採取のばらつきが検証結果に影響するため、再現性のある測定技術が求められます。
高度な洗浄要件を満たすためには、クリーンルーム設備、洗浄液生成装置、その他専用機器などを備えた専門業者の協力が不可欠です。加えて、洗浄や検査のノウハウを持つ技術者の協力も信頼性の高いプロセスの確立には欠かせません。
宇宙ミッションの多様化に伴い、精密洗浄の役割は今後ますます拡大すると考えられます。再使用型ロケットや長期ミッションでは、部品の清浄性維持が極めて重要になり、小型衛星や民間宇宙事業の拡大によって、小型部品向けの洗浄技術の需要が増加しています。新しい検査技術や環境に配慮した洗浄工程の開発が、今後の技術革新の鍵を握ることでしょう。
高木 篤 / コンサルティングTOPチーム ― TOBIRA ―