
技術情報
2025.09.05
環境配慮型潤滑油(Environmentally Acceptable Lubricants: EAL)は規制対応や社会的責任の観点から導入が進んでいます。しかし実際の運用現場においては、外部環境への流出よりも、機器内部での水分混入や加水分解といった潤滑油汚染の問題が深刻化しています。本稿では、環境配慮型潤滑油の普及背景とともに、その実用上の課題と解決に向けた技術的アプローチを整理します。
環境配慮型潤滑油(Environmentally Acceptable Lubricants: EAL)は、生分解性が高く、毒性が低く、生物蓄積性が低いという条件を満たす潤滑油の総称です。
国際的な船舶関連規制においては、油水界面で使用される潤滑油にこれらの性質を求める動きが進んでおり、特に船尾管やスラスタ、油圧機器などでの採用が拡大しています。
このため、EALは従来の鉱油系基油に代わり、合成エステル、ポリアルキレングリコール(PAG)、ポリαオレフィン(PAO)といった合成基油を主軸とする配合が中心となっています。
EALの普及は、主に規制や調達要件によって進展しています。
船舶関連規制では、油が直接海水に接触し得る部位では、技術的に実装可能であればEALの使用が義務化・推奨されています。
また、港湾当局や船級協会、さらには環境認証制度などが、EALの使用を推奨・要求する傾向にあります。 こうした規制的要因は、環境性能に加えて法令遵守コストの回避や社会的信用の獲得を狙う事業者の導入意欲を高めています。
EALは外部に流出した場合の環境影響が小さい点で注目されるが、実際の運用においては潤滑油自体が汚染される問題が深刻化しています。
代表的な要因は以下の通りです。
・水分混入: 船尾管や油圧機器では、シールの隙間から水が混入するケースが多く、これにより潤滑油の粘度低下や潤滑膜形成不良が起こり、摩耗・腐食を誘発します。
・加水分解: 特にエステル系基油は水分存在下で加水分解しやすく、酸価(TAN)の上昇、酸性副生成物の蓄積、潤滑油寿命の短縮を招きます。
・酸化副生成物の増加: 高温・高負荷下では酸化が進行することで、スラッジやラッカーの生成を引き起こし、これがバルブ固着や油路閉塞の要因となります。
・材料との不適合: 一部のEALは、従来鉱油を前提に設計されたシール材やエラストマーとの相性が悪く、膨潤や硬化、リークの増加をもたらすことがあります。 このように、外部環境への流出だけでなく内部的な潤滑油の劣化や汚染が運用者にとって直接的なリスクとなります。
潤滑油が汚染されると、機械システムに多方面の悪影響が生じます。
・摩耗や焼付きの増加: 粘度低下や油膜不良により、摺動部の境界潤滑が増加し、摩耗粉の発生や焼付きリスクが高まる。
・腐食促進: 加水分解で生成した有機酸は金属表面を腐食し、特に銅合金や鉄系材料の劣化を早めます。
・シール寿命短縮: 酸性副生成物や異常発熱がシールの硬化や亀裂を引き起こすことで漏洩量が増加し、これがさらなる水分混入の悪循環につながります。
・交換周期の短縮: 酸価や水分量が規定を超過すると、早期の油交換が必要となり、結果として、潤滑油コストやメンテナンスコストが上昇します。
・安全と信頼性の低下: 油圧系統ではバルブの固着や応答遅延、ギヤ系統では歯面損傷の加速など、システム全体の信頼性低下につながります。
環境配慮型潤滑油における汚染問題は、主に基油の特性と使用環境に起因します。
これに対する代表的な技術的アプローチは以下の通りです。
・飽和エステルの採用: 従来の不飽和エステルに比べ加水分解や酸化に強く、長寿命化に寄与します。
・水分離性の向上: 脱乳化性能を高め、混入水を迅速に分離排出できるよう改良します。
・酸化安定性の改善: 抗酸化剤を強化し、酸化副生成物の生成を抑えます。
・材料適合性試験: 主要シール材との長期相互作用を検証し、膨潤・硬化を最小化します。
・監視と保全の強化: 水分センサや酸価測定、脱水機やフィルトレーション装置の導入により、汚染進行を早期に抑制します。
環境配慮型潤滑油は、特に以下のような用途で採用が進んでいます。
・船尾管やスラスタなどの海水接触部位
・港湾及び沿岸で稼働する油圧機器や甲板機械
・森林及び内陸水域で使用される建設機械や浚渫機械
導入に際しては、以下の点が重要となります。
・使用部位の棚卸し: 油水界面に接触する可能性のある機器を特定します。
・基油特性に基づく選定: エステル、PAG、PAOの特性を理解し、耐水性や材料適合性に応じて選択します。
・運用時の監視: 水分、酸価、粘度、粒子数などのパラメータを定期的にチェックします。
・互換性評価: 既存潤滑油との相溶性やシール材との相性を事前に確認します。 ・保守体制: 水分除去やフィルタリングの装置を補完的に導入し、汚染の拡大を防ぎます。
環境配慮型潤滑油は従来鉱油に比べて単価が高い傾向にあるが、規制遵守によるリスク回避や環境的ブランド価値、さらには機器保護によるライフサイクルコスト低減というメリットが期待されます。
一方で、潤滑油の汚染によって交換周期が短縮した場合、コスト優位性が損なわれるため、適切な監視と予防保全が不可欠となります。
EALはかつて「環境に優しいが性能は妥協的」と見なされていたが、近年は潤滑性能や耐久性においても鉱油を凌駕する事例が現れており、今後は以下の方向性が進むと考えられます。
・耐水性や耐加水分解性のさらなる向上
・従来材料との互換性確保による採用障壁の低減
・油を使わない構造的代替技術(例:水潤滑系統)との併用
環境配慮型潤滑油は、規制や環境意識の高まりを背景に普及が進んでいます。
しかし実務面では、外部環境への流出よりも機器内部での潤滑油の汚染(特に水分混入や加水分解)が深刻な問題となります。
これに対処するためには、基油選定、材料適合性の確認、潤滑油状態監視、保守体制の強化が欠かせません。
今後は技術進歩により、環境性能と潤滑性能を両立させた「高性能EAL」の普及が進み、従来の鉱油を代替していくことが期待されます。
高木 篤 / コンサルティングTOPチーム ― TOBIRA ―